もしあなたに子どもがいたり、子どもと関わる機会が多いという立場に置かれているとしたら、あなたは子どもとの関係は良好に築けているでしょうか?今回は大人と子どもの愛着関係について臨床心理士が解説を試みます。
あるいは、子どもではなくとも、上司、部下の関係や、家族関係、友達関係において、良好な関係を築けていますか。
愛着関係という言葉を聞いたことがあるかもしれませんが、「愛着関係」とは具体的にどのような関係性なのか説明ができますか?
今回は、臨床心理士の立場から、「愛着関係」について解説をしてみたいと思います。
今回は、知っていると得する人との愛着についてのお話です。
大人と子どもの関係について
まず、ここでは大人と子どもの愛着関係が築けている状態を「子どもが困った時にその大人に助けを求められる状態」としてみようと思います。
例えば、子どもにとって慣れない環境ではきっと不安感や緊張感が高まってくることでしょう。そんな場面で、近くにいる親密な関係の大人の後ろに隠れたり、抱きついたり、そういう風景は想像に易い場面と思います。
その関係を愛着関係が取れていると表現しています。そして時間経過とともに慣れてくると不安緊張感は低下し、その大人からは離れて自由に遊んだり過ごしたりできるようになります。
このように、ピンチになった時に頼れる場所がある、という安心感は子どもが成長し大人になっても大切な信念となり、強みとなるでしょう。言い換えれば、一時的な心理的ストレスを他者を利用して調節することができる能力とも言えます。
「安心基地」と言ったりしますが、年少さん以下くらいのお子さんは、自分で外を探検したい欲求から、自分でトコトコ歩いて散策し、不安になったりふとしたタイミングで養育者のところに抱っこされに戻るというのはよく目にする光景と思います。
そこで充電できたら、また散策に行くわけです。
愛着関係を作る”スキル”
スキルというと大袈裟ですが、スマホをアップデートするように放っておけば勝手に身につくものではないようです。
・子ども
先ほども申し上げたように、養育者を「安心基地」として外の探索と充電を繰り返すことで愛着関係は育っていきます。しかし、中には、「人への関心」よりも「特定の事物への関心」の方が高いお子さんもいます。
それは、キラキラと輝く水や光への感覚的な関心だったり、電車や車などへの関心であることもあります。あるいは、他者という存在に気づきにくいお子さんもいます。そうすると、どんなに養育者が関わろうと思ったり、子どものピンチを察知して最高のタイミングで助け舟を出しても、それに気づかなかったり、求めていなかったりする場合があります。そうすると、養育者の意図せず、「愛情不足」(普段言いませんが、あえて言います)となってしまう可能性が高くなります。
・大人
子どもは人と関わる気持ちが年齢相応にあっても、肝心要の大人からピンチの時に助け舟が出なかったり、大人側の病気や障害によって関わりがどうしても薄くなってしまう場合があります。その場合には供給されるものが少なくて「愛情不足」となってしまう場合があります。
ただ、子育てと言うのは養育者と子どもの2者関係ではないですよね。保育園や幼稚園、通所施設、親戚、近所の人・・たくさんの人が関わり子どもを育て見守ります。何も、愛着関係を結ぶのは養育者でなければいけない、なんてことはありません。保育園の先生でもいいし、近所のおばさんだっていいわけです。
その場に合わせた「適応的な発達」!?
私は日本で生まれて、日本で育った日本人ですが、きっと違う国で生まれたらもちろん名前は違うし、話す言葉も違うでしょう。日本で生活する上で、日本語を話すと言うことは「適応的」である場面が多いです。
何が言いたいのか・・。つまり、人間は育つ環境に合わせて「適応的な」育ちをしています。例えば、常に喧嘩の絶えない家で生まれ育った子は、常にイライラし喧嘩っ早く、多動で落ち着かない状態がその家で生活する上での「適応的な状態」かもしれません。一人落ち着いて椅子で本を読んでいたら危険かもしれませんから。一方で、ヤングケアラーと言われるような親ではなく家庭や兄弟の世話をすることが当たり前の環境で育った子は、自分のことよりも他者を優先し抑圧的になることが「適応的な状態」かもしれません。すでにお分かりのように、「適応的」と言うのは「正しい」という事ではありません。その環境に馴染んで生存確率を上げるベストな手段って感じです。
問題になってくるのは、会社、学校での「適応」は家での「適応」と全く違うと言う事です。言い換えると求められていることが違うと言うことです。家ではイライラして喧嘩することが身を守るベストな手段というルールは学校では通用しません。
ともすれば、先ほどの子は家でのスタイルを変えられずに学校に持ち込んでしまい、つまり「喧嘩の絶えない家での適応的反応」を、安心安全な学校(と仮定しますが)でも、発揮してしまうのです。すると客観的に見ると「イライラしやすい子」「乱暴な子」「落ち着きのない子」と評価され、叱責を受けたり指導の対象となってしまうわけですね。
表面的な行動のみで子どもを見る危険性
表面的な行動とは「喧嘩をしている」「いじめをしている」とか、ビデオで撮った時に映し出すことができる言動です。前章で紹介した、その子それぞれの家庭背景などを鑑みた「潜在的な情報」と言うのは、学校での行動をビデオで撮っても映りません。
でも、行動上の問題を見ていく上で、「潜在的な情報」と言うのはものすごく大事になってきます。氷山の一角の下部分です。(写真をイメージできますか、あの海の下の部分です)。
以前紹介した、子どもの普段のモードが、青信号なのか、黄信号なのか、赤信号なのか、少し気にしてもらえると良いかなあと思いました。
愛着対象は一人じゃなくて良い
愛着対象と言って、まず最初に浮かぶのは親御さんですよね。でも、たくさんいる方がいいじゃないですか。保育園、学校、地域、たくさんの人と愛着関係を結ぶことは大きなリソースです。安心できる大人、困った時に頼れる大人の存在を感じられる自分の居場所を探すことはとても大切です。
そして、愛着関係を築くのが苦手な子もいるし、大人だっています。それぞれが得意なことを通じて、子どもを育てていける環境を今後も考えていきたいですね。
皆様の理解の一助になれば幸いです。
コメント